12月の遺跡めぐり 

加曽利貝塚と坂月川周辺を歩きましょう

【日 時】 2000年12月3日(日)10:00-12:00 (13:10-14:30)
【集合場所】加曽利貝塚博物館入口前→案内) 
【コース】 
加曽利貝塚博物館前→加曽利北貝塚→加曽利貝塚南貝塚→坂月川フラワーロード→滑橋貝塚小倉台広ヶ作貝塚小倉市民の森(滑橋貝塚)→京願台遺跡→加曽利貝塚・代官屋敷(昼食)→古山遺跡→若郷遺跡(加曽利病院)→加曽利貝塚(解散)

※ ちょうど千葉市による「縄文の森」事業の範囲(42ha余り)にあたります。→マップ(概念図)

   

1.加曽利南北貝塚と坂月川

 10:00、加曽利貝塚博物館の前に集合。前回は参加人数が多すぎたという反省もあり、定員を設けましたが、当日、定員30名を越える39名の参加者がありました(笑)。多めに資料を用意しておいてよかった。

 

加曽利貝塚は、北貝塚と南貝塚、二つの巨大な環状貝塚がちょうどメガネのように連結している貝塚です。国の史跡に指定され、公園として整備されています。北貝塚の方が中期(5000〜4000年前)を中心に形成された貝塚であり、より古い時代のものです。まず北貝塚で保存されている住居跡を見ました。
 世界最先端の保存技術がここで試されています。ここで試された技術が、敦煌の石窟寺院の保存に使用されるそうです。 

 住居跡にはところどころに地中の状態を調べる棒が立っており、貝層断面のわきの地表には機材が並びます。24時間、地中の状態を自動的に分析記録して保存効果をチェックしています。

次に北貝塚の貝層断面を見学しました。右の写真は北貝塚貝層断面観察施設です。
 
北貝塚貝層断面観察施設の内部です。北貝塚も南貝塚も同じようなもんだろ、と考えがちですが、違います。以下の南貝塚の写真と見比べてください。貝層それ自体の様子が違います。保存方法も違います。
 北貝塚の貝層断面です。千葉市には、2000余り遺跡があると言われますが、巨大環状貝塚は、(数え方にもよるが)26ヶ所くらいしかありません。環状貝塚の意味を考えるには、26ヶ所「もある」でなく「しかない」という観点が重要であるとのことです。
 続いて南貝塚の貝層断面を見ました。南貝塚は縄文後期(4000〜3000年前)を中心に形成された貝塚です。左は南貝塚の貝層断面観察施設です。

 写真中、観察施設の左側付近が標準土器となった「加曽利B式」が発掘された場所です。発掘した大山研究所は戦火で焼けてしまい、正確な発掘地点は不明とのこと。

 南貝塚の貝層断面観察施設内部です。ハギトリ断面で、北貝塚の貝層断面より鮮明に見えます。
 北貝塚と比べると、ハマグリは大きなものが多いのが目立ちます。貝の成長線を観察すると、だいたいいつ採取されたものがわかるのだそうですが、南貝塚では、どうやら1年中貝を採取していたらしいとのことです。
 北貝塚の貝層に比べて、貝層が何層もつみ重なっているのがはっきり見えます。横にすーっと線が引けるようです。何層も意識的な整地を繰り返しているように見えます。この断面ではないようですが、人骨も捨てられて(埋葬されて?)いるそうです。環状貝塚は、ゴミ捨て場としても、現代人の考えるような「ゴミ捨場」でないことが示唆されているようです。
 左の写真は、貝塚から出たイボキサゴの貝殻の標本です。南北貝塚いずれもイボキサゴの貝殻が多く見られます。しかしイボキサゴをどうやって食べたのか?何に利用したのか?大きな謎です。イボキサゴは小さい貝です。いちいち中身をほじくりだして、食べたのでしょうか?「ハマグリなどよりは採取しやすい」「食べたのでなく、ダシとりに使った」等々の見方があります。イボキサゴが粉砕されている層とそうでない層があるのも注目されます。
 赤いピンのところに骨があります。専門家は、その体の一部の骨を見て、「体調46・のマダイ」などと推測します。

 堆積した貝層の最下層の方にイノシシの頭骨がありました(右写真の一番下の赤ピン左)。その右上のの赤ピンのところにも獣骨。小さいイボキサゴの貝殻がぎっしりつまっています。一番上の赤ピン付近の二枚貝は、アサリの層。

 南貝塚の中央に立ちました。ぐるっと、環状に高い地形=貝層がまわっているのがよくわかります。まさしく貝「塚」です。

 このような巨大環状貝塚は干貝工場であり、遺構が残っていない中央部分は、作業を行った場所である、とする説があります。しかし巨大な墓地でなかったか?加曽利貝塚の発掘された部分は、わずか3%だけでほかは保存されていますが、3%の発掘だけでも64体もの人骨が発見されています。青森の三内丸山遺跡も巨大な墓地といえることがわかってきています。環状貝塚の中央部分は遺骸を置く神聖な場所でなかったか?土壌の脂肪酸分析を行えば、そこに遺骸が置かれていたことがわかるかもしれない---との説明がありました。

 南貝塚から古山支谷に向かう東斜面では、春になると美しい草花が咲きます。とくに早朝が美しいそうです。自然環境の面からも加曽利貝塚は大切にしたいところです。
 南貝塚の東方の斜面を下り、坂月川・古山支谷に出ました。縄文中期/後期の当時は、海岸線はここから西に直線で4km以上離れたパルコから県庁あたりにありました。縄文人は、坂月川を丸木船でくだり、漁に出かけたと考えられます。

 左の写真の少し先あたりの地中について、古代の花粉分析の調査が行われています。それによると、縄文後期には針葉樹は少なく、アカガシ属/シイ属/クリ属/ケヤキ属等の花粉が存在しました。イネ科の花粉は、縄文時代後期にはなく、晩期にわずかに現れ、古墳時代中期ころから、急に増えるのがわかります。ソバ属の花粉が縄文時代後期に現れることも注目されます。

 坂月川沿いの道(フラワーロード)を歩いて、滑橋(なめりばし)貝塚へ向かいます。この坂月川周辺は、千葉市の縄文の森事業の整備予定地です。前方上空を横切るのは、モノレールとその下を通る道路(谷頭橋)です。画面右、モノレールの手前の台地は柳沢遺跡。谷頭橋の左端台地付近が京願台遺跡。モノレールの向こう側に顔を出している台地こそ、目指す滑橋貝塚広ヶ作貝塚のある台地です。

加曽利貝塚博物館案内

(住所)
   千葉市若葉区桜木町163(TEL:043-231-0129)

 ■JR都賀駅よりモノレール「千城台」行きに乗車(3分)。
   「桜木」駅下車、徒歩約15分。

 ■JR千葉駅前より京成バス「御成台車庫」(市営霊園経由)行きに乗車(20分)
  「桜木町」下車、徒歩15分

 ■京葉道路貝塚インターより自動車で10分。

 ※ 加曽利貝塚博物館は9:00から見学できます(駐車場あり)。

加曽利貝塚については、以下のサイトもご覧ください。
「貝塚町の貝塚」 「千葉市の貝塚」 「総務の部屋」

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