小字名
|
読みかた
|
コメント
|
古城 |
コジョウ |
=南生実城(いわゆる小弓城)の主郭、すなわち城の中心部分。「古城台」と記す文献もある。地元のご老人にお聞きしたところでは、“地元の者は「古城」というよりも、「ユーゲェ」(要害)と呼ぶ方が多い”とのことである。「要害」とはまさしく中世において城を指すのに使用されていた言葉だ! |
台 |
ダイ |
=台地上。「古城」の北隣。広大な平坦面をもつ。古城とは大規模な空堀で区画されていた。現在民家がたっているところに妙見社があった。千葉一族に連なる領主原氏が創建したものであろう。「台」の北東角には、「北門」「北門坂」の地名がある。北側「中鼻」との間には、大規模な空堀、大土塁、土橋が残る。西縁には段状の地形や土塁の残欠が認められ、土塁で囲まれた民家の敷地もある。地元の人に聞いたところによると、この付近に「クボダイ」と呼ばれる一画がある、というが、未確認。小弓公方の御座所が生実のどこにあったか、最近議論があるところでもあり、気になる情報である。
なお縄文時代の馬蹄形貝塚「森台貝塚」がある。 |
本郷 |
ホンゴウ |
=「古城」の南下。南生実の集落の中心部分。北生実の「町並」の集落より古いと見られている。かつての侍屋敷か?古城直下には八剣神社の神官「吉野家」の邸宅もあった。東には「宮堀」で区画された八剣神社がある。本郷にはかつて「クボダイ」という屋号の家があったという。
|
神門 |
ゴウト |
=「本郷」の南、浜野川(旧名、塩田川)が通る低地。浜野川遺跡・神門貝塚という縄文・弥生から平安・中世にかけての重要な低湿地の遺跡が存在する。 |
御手洗 |
ミタラシ |
=古城の南南西の低地。なお草刈堰用水路は、神門→本郷・御手洗→城出下→廣照寺下→柳町→門前谷→長山下・峠ノ台下→本満寺脇→須賀→横須賀脇→・・と台地下を流れる。 |
城出下 |
キリシタ |
=古城の台地西南下の低地。古城からの抜け道といわれる通路跡がある。刑場跡の伝承もあるが、真偽不明。「読み」からの連想か? |
廣照寺下 |
|
=古城の台地西下の低地。現在、本郷にある廣照寺は、領主原氏が一族の慰霊のため戦国時代末期に古城に建造したという伝承があるが、この地名はそれを裏付ける。 |
柳町 |
|
=廣照寺下の北隣の低地。 |
門前谷 |
モンゼンヤツ |
=南生実城の台地北西から北にかけて広がる谷津。門前谷以北は北生実村に属す。峠ノ台の東「大覚寺脇」にあったとされる大覚寺あるいその東「勢国寺台」にあったとされる勢国寺に由来する地名か?門前谷の北には大覚寺山古墳がのこる。 |
峠ノ台 |
ビョノダイ(トウゲノダイ) |
=南生実城北西、「門前谷」をはさんだ対岸。「ビョ(ウ)」とは「峠」のこと。地元の人は「トウゲノダイ」とも呼んでいる。この台地上にある「長山砦」は、北の「柏崎砦」とともに、両翼を広げるように、生実城を守る位置にある。『千葉市史跡整備基本計画』では単郭式とされ、土塁、腰曲輪、物見台が遺構として記載されている。生浜東小学校校庭には巨大な円墳「七廻塚」古墳があった。 |
長山下 |
|
=峠ノ台の西下、低地。 |