遺跡めぐり
  2003年7月20日(日)

武石・幕張をあるく(3)(仮)

― 馬加康胤の史跡 ー


 馬加康胤は、千葉家の家老原胤房と組んで、甥である千葉嫡流家千葉介直胤を滅ぼしたが、千葉介の地位を自らのものにするという野望は果たせず、幕府から追討令を受けて滅んだ、という人物です。三山の七年祭はこの人物に関わりをもつようですが、単なる安産の祭りではないような・・・後半は馬加康胤関係の遺跡が集中する武石台地西側と浜田川流域を歩いてみます.


 

 ■コース(09:30-12:30

JR新検見川駅―大久保城跡―愛宕山古墳―真蔵院・板碑―羽衣神社―武石神社(古墳)・武石城跡―大小塚―三代王神社―椎崎古墳―馬加城跡―宝幢寺―子守神社(素加天王社)―大須賀山砦(堂ノ山)〔馬加康胤首塚〕(―JR幕張駅)

国土地理院 1/25,000地形図:

千葉西部(北西) 千葉西部(北東)

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定をよんで見ましょう。たいへんよい地図なのですが、閲覧以外の利用はできません。

 三代王神社。1202年、武石胤盛が郷内安全の守護神として創建した明神神社に始まります。1445年、馬加康胤の奥方がお産をする際、この神社の神様が康胤の夢枕に立ち、「我は安産の神なり。我を守護すべし等々」と告げました。そのとおり幕張海岸で祈念すると、たちまち奥方は安産したとのことです。七年祭において三代王神社が重要な役割(産婆役)を負っていることがわかります。康胤は翌1446年、社殿を造営し、家臣の小川釆女を社人として祭司にあてました。小川釆女は康胤とともに戦死しました。社号は1501年、「三代王神社」と改められ、1732年拝殿の再建を機に、それまで素加天王社(子守神社)の神主が兼務していた社務を村内の小川釆女の子孫にあたらせることとして現代にいたっているとのことです。(以上 和田1984)

 三代王神社貝塚。園生貝塚研究会によれば、武石台地上の貝塚の多くは、台地上の平坦地に見られるのですが、ここの貝塚は斜面に大量に廃棄されていることが注目されます。馬加康胤が攻撃されたとき、三代王神社は焼き討ちにあったという伝承があるそうですが、ここの貝塚の貝殻には焼けた形跡があり、この伝承に符合する!そうです。

 椎崎古墳遠景。字「椎崎」。住宅の隣の樹木が生えているところです。この付近は、海隣寺があったといわれる場所です。海隣寺は千葉常胤が創建したといわれる真言宗の寺です。千葉貞胤が時宗に改めました。馬加康胤滅亡後、康胤の子、輔胤が佐倉に移しました(『幕張郷土誌』)。下見のとき、近くで耕作をしている2人にたずねてみましたが、たしかに「昔、このあたりに寺があったと聞いている」という返答がかえってきました。ただし場所はじゅうぶん特定できませんでした。

椎崎古墳。馬加康胤の墓との伝承があります。この古墳からは「鎌倉時代の古常滑焼の朝鮮陶法の強い影響が見られる」骨壷が出土しています(和田1984)。中世の塚墓であることは間違いないようです。

 椎崎古墳から馬加城中心部(幕張ハウス)方向を見る。樹木の生えている向こう側には自然の谷が入っていて道路になっています。武田宗久氏はこの道路を自然の谷を利用した空堀と見ています。従来の説明では、このあたりは馬加城の外郭とされています。城郭遺構らしい遺構がまったく残っていないため何ともいえません。写真右方向の先から、その自然の谷向かって坂道がつながっており、「縫坂」とも「海隣寺坂」と呼ばれています.素加天王社(子守神社)は「縫坂」にあったといいます。その場所は海隣寺跡の縫坂を隔てた北側の平坦地(字「縫坂」)でしょう。

 いよいよ武石台地の西端、馬加城の中心部へ向かいます。ご覧のとおり、今でこそ多少とも住宅が建っていますが、平坦な畑が広がっており、城跡(または館跡)とは考えにくいところです。遺構がはっきりしないのは、耕作にくわえて、いわゆる江戸ゴミの搬入が多かったことが影響しているかもしれません。歩いていて、近世の陶器片や泥面子などをよく目にします。

 北東から見る集合住宅「幕張ハウス」。この一帯は字「道城根」、通称「ヤカタ」という地名の場所です。1980年、幕張ハウス建設に際しての事前調査では、弥生時代中期・古墳時代・平安時代の住居址などが発見され、古墳時代・平安時代にはこの付近にかなりの集落が営まれていることがわかりました。しかし馬加城の遺構の発見が期待されたものの、はっきりと中世のものとわかる遺構は確認されませんでした。まだ調査がなされていない周辺の畑等に馬加城の遺構が眠っていることでしょう。園生貝塚研究会の所見は注目されます。武石台地上の貝塚の特徴は、直線的に並ぶ傾向があることだそうで、空堀や通路に貝殻を廃棄した跡である可能性があるとのことです。写真の畑に白くチラチラしているのは、貝殻です。

 JR陸橋から北・武石台地西側を見る −馬加城跡

 JR陸橋から南西・浜田川旧河口を見る −大須賀山(堂ノ山・首塚)

 中央の台地先端部が大須賀山(堂ノ山、馬加康胤首塚、大須賀山砦)である。大須賀山の左手前(ジグザグの小道の先)に建設中の建物が見えるが、そこが子守神社(素加天王社)である。写真右から大須賀山先端部の方向に浜田川が流れる。大須賀山の前100m程の浜辺が三山の七年祭の磯出式が行われる地点である。写真左、埋立地・幕張新都心の高層ビル。写真右の台地先端部は字「宮ノ台」(宮ノ台城跡・宮ノ台北遺跡)。先端部に浅間神社の祠があり、円墳ないし塚が1基残るものの、大半はすでに住宅地になっている。『千葉市史』のリストでは土塁・空堀・腰曲輪という城郭遺構の存在を記すが疑問がある。なおその向こう側の西ノ谷小学校付近(字「大道」)の宮ノ台遺跡では縄文時代早期の炉穴・住居跡が検出されている。

 宝幢寺。806年、宥恵法印開基の寺です。この場所は阿弥陀寺のあった場所です。入水自殺した常胤の妻の菩提を弔うため造立した阿弥陀仏像を安置していました。和田茂右衛門1984によれば、宝幢寺はもともとJR幕張駅の北側にあったのですが、明治5年に阿弥陀寺を合併しこの阿弥陀仏寺跡の敷地に移ったとのことです。現在、宝幢寺には、阿弥陀寺の本尊、阿弥陀如来像と、大須賀山大日堂にあった大日如来像がありますが、いずれも鎌倉時代の作で、千葉市文化財に指定されています。

 子守(こまもり)神社(旧、素加天王社)。改築中です。1194年(建久5年)、大須賀四郎胤信が馬加城内縫阪に創建した神社がこの神社の前身です。1508年にこの地に移されました。七年祭では名前の通り、子守りの役です。大須賀胤信の子孫の方が代々神主をつとめておられます。

 子守神社西300m、浜田川をはさんで突き出た台地の先端にある大須賀山へ向かいます。

 大須賀山(堂ノ山)の塚。一説では、上総八幡(市原市八幡宿)で戦死した馬加康胤の首塚であるといわれています(胴塚は八幡宿にあります)。大きな方形の塚です。その首塚に上っているところです。みんなで上ればこわくない(^^;

 素加天王社(現、子守神社)の伝承では、1468年(応仁2年)、幕張で火の玉が飛ぶという奇怪な現象が起きました.そこで幕張の村人たちは、康胤とともに討死した家臣の霊を供養し、この大須賀山(堂の山)にまつったとのことです。

首塚、頂上の五輪塔(1633年建立)。たいへん大きなものです。七年祭の磯出式はすぐ下の(元)浜辺で行われます。七年祭は単なる安産の祭りでなく、康胤らの鎮魂の意味をもった祭りであったのはないか、と想像したくなりますが、どうでしょうか。

 ここは砦跡ともいわれています。塚の周囲には土塁跡とも見えなくもない地形がまわっており、北側の神社付近は腰曲輪状に整形されています。この塚は物見かもしれません。ここは幕張の浜・浜田川河口に突き出た台地の突端であり、直下は房総往還という位置です。逆に大須賀山は沖を通る船の目印になったともいわれています。砦であったとすれば、東常縁の康胤追討軍は真っ先に、この砦を攻撃したでしょう。
 大須賀山の腰の部分は墓地になっており、数年前、老朽化のため廃棄されるまで大日如来をおさめた大日堂がありました。もともと聖なる空間という意味をもった場所でもあったかもしれません。

お疲れ様でした。

 

 

たかしpart3さん、ワイワイグッチさん提供の写真を使わせてもらっています。両氏に感謝します。

武石・幕張をあるく(1) 武石三郎胤盛とその母の伝承 

武石・幕張をあるく(2) 動乱期の武石氏  

大須賀山(堂ノ山)

●参考

イベントお知らせページ2003年7月

花見川水系の歴史的景観

|お大久保城より馬加城・武石城方面を眺める  大久保城 物見(櫓台)| 武石之里を歩く (1)真蔵院板碑と愛宕山古墳  武石城・武石台地遠景   

武石・幕張年表   

主要参考文献 −検見川・幕張・武石の歴史

参加したたかし殿のページ。馬加城のページがあります.評価はキビシーですが(^^;
幕張メッセのそのむかし――1:25,000地形図「千葉西部」―― OLD MAP ROOMのページ。幕張の浜の埋め立ての変遷がわかります。

 

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