遺跡めぐり
  2003年7月20日(日)

武石・幕張をあるく(2)(仮)

― 動乱期の武石氏 ー


 武石郷に居住した武石氏が、室町時代以降、どうなったかは不明です。武石胤親の史跡の存在により少なくとも16世紀前半にその活動があったことはうかがえます。


 

 ■コース(09:30-12:30

JR新検見川駅―大久保城跡―愛宕山古墳―真蔵院・板碑―羽衣神社―武石神社(古墳)・武石城跡―大小塚―三代王神社―椎崎古墳―馬加城跡―宝幢寺―子守神社(素加天王社)―大須賀山砦(堂ノ山)〔馬加康胤首塚〕(―JR幕張駅)

国土地理院 1/25,000地形図:

千葉西部(北西) 千葉西部(北東)

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定をよんで見ましょう。たいへんよい地図なのですが、閲覧以外の利用はできません。

薄暗く細い坂道を上り、いよいよ武石台地の上に上がります。

 武石神社。おたけさま。傍らに小円墳があるはずのですが、はっきりわかりません。藪の中にかろうじて土の高まりがあるのですが。

 そのあるべき円墳は武石胤親(武石氏略系図)の墓ということです。胤親は足利義明側に味方して国府台の合戦に参加し戦死したといいます。小弓城を義明に奪われた原氏はもちろん、千葉本宗家、千葉一族の多くは、北条側についたようです。このことは、当時の下総千葉一族における武石氏の位置を示唆しているかもしれません。

 武石神社の祠。鳥居と社は1940年、当時君津郡湊町居住の武石勝胤氏が建立したものです。胤親の子孫は浪人後、稲毛浅間神社の神主布施家の養子となり、今日にいたっています。里見家の家臣となった武石氏は里見家廃絶後帰農しました。歴史上もっとも活躍したのは、東北に移った武石氏で、亘理を名字とし、伊達氏と姻戚を重ねて、伊達姓を名乗ることを許され伊達一門の扱いを受けました。伊達騒動で有名な涌谷藩2代目当主伊達安芸守宗重は、武石氏23代にあたります。

 京葉道路武石インター。おたけさまの西方、写真左端付近、にもう一基、小墳があったといわれています。武石胤親の奥方の墓とのことです。この付近は武石城跡と云われてきた場所なのですが、ご覧のとおり、最近の建設物以外、平坦な畑が広がっているのみで、地表面に城郭の遺構らしきものは見当たりません。ただしクランク状に段差があるのは気になります。また馬加城跡においてもいえますが、直線状に分布する貝塚の存在は空堀などの遺構の存在を示唆しているかもしれません。機会があればきちんとした調査が望まれます。

 藪の中に大小塚古墳群5基のうち2基があるはずです。番犬が激しく吠えて近寄れません(^^;1基はすでに削平されたようです。

 大小塚(ダイショウヅカ)のうちの西側の一基。大小塚には武石胤親やその従者の刀剣を石室に埋めたという伝承があります。

 ※「大小塚」は和田茂右衛門氏と園生貝塚研究会は「オオコヅカ」という読みを採用しています。地元住民数名に確認したところ、「オオコヅカ」ではなく「ダイショウヅカ」である、と明言していました。もともとの読みがどうだったかは必ずしもはっきりしませんが、ここでは「ダイショウヅカ」と呼んでおきます。「ダイショウヅカ」とすれば、「大将」塚から来ているかもしれませんね。

大小塚の東側の一基。二つの塚が小道を隔てて並んでいます。こちらが大塚でしょうか。

 馬加康胤が同じ武石台地の西端の馬加城に拠って勢力をふるっていた15世紀中ごろ、武石氏がどういう立場であったかは不明です。1439年永享の乱で武石胤秀は足利持氏方として討ち死にしています。武石氏の勢力が衰退したその機に、馬加康胤が武石台地に入りこんだ。武石氏は康胤によって武石郷を追われた。康胤の死とともに武石氏は復帰。だからこそ基本的に康胤系の佐倉千葉氏・原氏ラインにつかず、その対抗ラインである小弓公方・里見ラインについた、と想像したくなりますが・・・

 

武石・幕張をあるく(1) 武石三郎胤盛とその母の伝承  

武石・幕張をあるく(3) 馬加康胤 

イベントお知らせページ2003年7月

花見川水系の歴史的景観

|お大久保城より馬加城・武石城方面を眺める  大久保城 物見(櫓台)| 武石之里を歩く (1)真蔵院板碑と愛宕山古墳  武石城・武石台地遠景   

幕張メッセのそのむかし――1:25,000地形図「千葉西部」――

OLD MAP ROOMのページ。幕張の浜の埋め立ての変遷がわかります。

国土地理院 1/25,000地形図:

千葉西部(北西) 千葉西部(北東)

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